cheeky squirrel’s diary

隙あらば怠惰、夢見る臆病者、けれど人生を諦めたくない私の北米生活日記。むむぅ~!                                 🔦当サイト内の画像、文章などの無断転載及び複製などの行為は違法です。

締まりのない文章に憤慨を潜めてみる

疲れている。

吐き出したいから、ここに書くことにする。

 

日本在住の日本人友達と連絡を取らなければいけないときがあった。同じタイミングで複数名。これが始まりだ。

 

もともと、私は友達が少ない。浅く広くではなく、狭く深く関係を築くタイプだ。

今回連絡をもらった友達は、その中でも、関係が希薄になりつつある人たち。

そのような人には、基本的に私は自分の話をしないようにしている。聞き役に徹する。

 

しかし、今回彼女らの質問から逃げきれず、外国にいることを言わざるを得なくなってしまった。

国内にいるって、何となしに ぼやかしておけばよかったと後悔した。

 

「えー!すごーい!かっこいー!」×5(棒読み)

「じゃあ、英語はぺらぺらなんだ?」

「いつ日本に帰ってくるの?これからどうするの?仕事は?」

 

苛つきを通り越して、あまりの無神経なコメントに驚愕。どうして平気でこんなことを言うのだろうか。

私が相手の立場なら、絶対に聞かない。聞かれた相手は不愉快な思いをすると容易に想像できる。何より、それを聞いて何になるんだろう? 
仮に私が、
「結婚したんだ。じゃあ、子供はいつ産むの?」
「仕事のキャリア目標は?」「じゃあ、あなたはその外国語がどの程度できるの?」と聞いたら、どう思うのだろうか。
こんな意地悪な質問…おそろしい。
他にもっと、話すことないのか。

 

相手の気持ちを想像するという配慮をしない同年代の友達に、呆れた。残念だった。

もう、帰国する場合も、他国に行く場合も、連絡するのはやめようと、決めた。

 

これらの質問の影には、

・私が完璧な英語を話してくれるな。

・私が華やかな人生を歩んでくれるな。

という嫉妬と嫉みを伴った相手の願望が見えて、私を嫌な気にさせる。

 

正面から答える必要がないので、静かにさせるために

「全然喋れないし、未来は全然わかりません。」というテキトーな返事をしておいた。

 

本音を言えば、

「あなた達よりは、ぺらぺら話せますよ。努力してます。全然話せなかったら、ここで1人で今まで生きてこれたわけないでしょう?」

 

だけれど、国外で1人で旅行をしたこともなければ、まして1人で国外生活したことがない人に、声を荒げても無駄だ。

外国生活=華やか という方式しか頭にない人たちと横に並んでお話ししようということが、そもそも無理なんだ。
(※国外に出たことがない人を見下しているという意味は全くない。私はそのような価値観の人間ではない。)

 

 

メッセージ交換から、どう姿を晦まそうかと、やるきのない顔でケータイを眺めていると、同居人に心配そうな視線を向けられた。

訳を話すと、

「わーお。それ、完全に嫉妬だね。忘れたらいいよ。彼女たちは、自分たちが幸せじゃないんでしょう。

そんな嫉妬心剥き出しの質問は、質問者の価値を下げるだけなのにね。

これは不思議だけど、日本人は、白人圏の国に移住した日本人に対して、すごく厳しいように思う。

他のアジアだと、みんな助け合おうとしてるよね。ま、そのコミュニティが強すぎる延長に、現地人と馴染めずに孤立するという代償もあるわけだけど…。

 

同居人は欧州の北国に遠い祖先に持つカナディアン。

仕事で世界各国に赴任していたので、アジア人のパーソナリティや文化の違いも、よく見て、よく知ってきている。

 

 

共感してくれる人がいる、というのは、なんといいことだろう。

わかるよ、と言ってくれるだけで、すーっと救われる。

無駄なことに大切な感情を使うのはやめようと、冷静になれる。

 

これって、誰の人生?

私の人生だ。私の人生を作るのは、私だ。

 

私には、有難いことに、温かい人が周りにいる。

外国でも、こうやって生きてこれている。

 

もしかるすと、彼女らには母国であってもそんな人がいないのかもしれない。

いつまでも他人の人生と比べて、不満を募らせているみたいだ。
異端な私は格好の餌食なのだろう。

 

どうせ、私は彼女らに今後会うことはない。

考えるのは、やめよう。

祈るのが、健全だな。相手が幸せになるように、祈っていよう。