cheeky squirrel’s diary

隙あらば怠惰、夢見る臆病者、けれど人生を諦めたくない私の北米生活日記。むむぅ~!                                 🔦当サイト内の画像、文章などの無断転載及び複製などの行為は違法です。

誇りですぞ!方言と訛り

朝から晩まで第二言語で話していると、「ん?私、だれ?」と、ときどき感じることがあります。


家族と話すとやはりホッとするんですね。そしてそれは方言の力も大きいと思うのです。


数年前帰省した時、驚いたことがありました。バスに乗っていると女子高校生のグループが前に座ったので、「今時の女子高生はどんなこと話すのかなぁ」なんて聞き耳を立てていると、なんとびっくり、東京弁が聞こえてきました。

まさか全員、東京からの転校生なのか?と疑いましたが、よくよく耳を澄ますと、地方の訛りと東京弁が入り混じった話し方。

衝撃のあまり、今時の女子高生の会話内容なんてどうでもよくなり、ただただ疑問と寂しさが残ったのを覚えています。


かくいう私も上京してからは東京弁を話していました。というのも、故郷の訛りは全国的にあまり知られていないマイナーなものなので、それを使って目立ちたくなかったんですね。

また、東京弁は整然としてシンプルなので、話もすんすんと前に進みますし、そこで相手が聞き慣れない方言を使って、困惑停止させたくないことも大きな理由です。

大阪弁や京都弁、博多弁のような有名な方言でしたら、もしかするとそのまま継続していたかもしれません。事実、そちらの出身の方は東京でもそのままお話しされる方が多いように思います。


やはり方言はいいもんだなぁ、と思わせることの一つに、方言特有の温かさ、優しさが挙げられますね。

随分前になりますが、成人式のために帰省して、久しぶりにクラスメートの何人かと食事をしたときでした。「疲れたら、いつでも帰ってきていいんだよ」と、地元の訛りで男の子から言われたとき、方言の持つ包容力がしっかりと都会で冷え切った私の心を抱きしめて、半分恋に落ちるくらいのものでした。 これは東京弁では絶対に醸し出せない男性の優しさだよなぁ。しみじみと、故郷の優しさに触れたひと時でした。


方言と訛りに和やかな雰囲気を感じるのは日本人だけではないことにも驚きです。

私が地方出身であることを外国人に話すと、「方言はありますか?」と興味津々に聞いてくる人が意外にもかなり多いこと。

「方言はどこか柔らかい感じがして、日本人らしいです。アイデンティティの一つだと思うし、話者が少なくなるのは残念です。」と言った人まで。

自分の生活スタイルには東京弁のほうが合っているのですが、地元の言葉は子供の頃からの第一言語ですし、なるほど、アイデンティティと訛りは、切り離せないものだよなぁと考えさせられます。



地元の人と話すときは方言を話すと決めているのですが、以前あった奇妙な現象。

何人かの女性と話したときですが、地元を出た人は私のみで、そのほか全員は地元に住んでいる方たちというメンバーでした。100%方言を話していたのは私だけで、他の皆さんは東京弁を使っていたのですね…

なぜ方言を話さないのか聞きたかったのですが、何やらそれは聞いてくれるなという雰囲気でしたので控えました。

なんだか、都会的に振る舞おうと無理して格好つけているようですし、そんな話し方をされると、弱さも見せながら心置きなく会話する関係にはなれないのでは?と、心配になりました。



どのような話し方をしようかは個人の自由ですし、だから方言を使えなどとは思わないのですが、方言や訛りが田舎っぽくて嫌だという価値観があったならば、それは非常に残念なことだと思うのです。



第一言語が、特別な温もりを持った方言や訛りであることに、もっと誇りを持ってもいいのではないでしょうか〜。

異性の心をイチコロに!異文化交流のスパイスに!


迂闊に信じてはいけないような謳い文句になってしまいました。

おしまいです。