cheeky squirrel’s diary

隙あらば怠惰、夢見る臆病者、けれど人生を諦めたくない私の北米生活日記。むむぅ~!                                 🔦当サイト内の画像、文章などの無断転載及び複製などの行為は違法です。

いろいろと浮いてしまう私…

今思うと、物心ついた頃から周囲の人と話すのが心地いいと思えなかった。

疲れてしまって、1人でいる方が楽な故に、休みの日に誘いがあってもなんとか断り、1人で好きにどこかへ行ったり、家で本やら映画やらで寛ぐことが多かった。


疲れる理由として、相手が興味のある物や話題が自分のそれらとは異なっていて、全然楽しくないこと。さらに、表面上は「へ〜、そうなんだ。」と温和な聞き役に徹っして学校社会を潜り抜けようと、当時の自分なりに無理に空気を読んでいたからだと思われる。


反対に、年上の方とお話しするのは大好きで、塾の先生や家に来られるお客さんなどにはすぐに懐いて、幼い自分よりも知識、経験、世界も広い彼らの話を聞くことが楽しかった。


コミュニケーションが上手じゃないと、外国で生活するのは難しいだろうと、多くの方が思われるのではないか。

私は基本的に、いわゆるコミュ障の部類に入る人物で、日本の方とお話しする際にはこの特性を思う存分発揮してしまう。


しかし、外国語で話す際、私は非常に開放的になり、精神的に「疲れる」ことが無い。もちろん、うまく伝えられないもどかしさや、自分の言語力に嘆くことはあるけれども、人間同士の疲れが無い。

これは本当に素晴らしい事で、こちらで生活する良さの大きな一つだと思っている。


おそらく、こちらの言語的そして文化的な特性が、私を本来の私にさせてくれていると感じる。

自分の意見をはっきり言ったり、感動をすぐに言葉に出したり、褒め言葉をすぐに相手に伝えても、不思議がられない。

日本にいた頃は、「よくそんなにハッキリ言えるね」「そんなドラマチックに表現するの、やめて。」「そんなことないよ〜(照れ隠し)」と返されて、投げたボールが拾われない会話だった。

(意見は言うけれど、相手を傷つけるような中傷ではない。)


そんな私なので、友達は非常に少なく、1人を除いて他全ては外国人という、日本の方にはコミュ障発揮を裏付ける国籍の割合になっている。



何が言いたいかというと、

現在の日本で評価されるコミュニケーション能力の高さに関わらず、希望がある限り、どなたでも国外に出て空気を吸ってみるのは、なかなか大きな人生転換になるのではないでしょうか。


受け入れられていない、自分を出せない、何か生きにくい思いを抱えている、けれども外国にポジティブな興味があるという方は、今のご自身の日本社会からの評価などお気になさらずに、とりあえず国外に出てみてもいいかもしれません。



毎回、何か書きたいことがあって書いているわけではないブログなので、話の始まりと終わりが滅裂になっているかもしれません。

そして今日はいつもの文体を封印して、さらさらと綴っただけのものになっています。

おわりです。