cheeky squirrel’s diary

隙あらば怠惰、夢見る臆病者、けれど人生を諦めたくない私の北米生活日記。むむぅ~!                                 🔦当サイト内の画像、文章などの無断転載及び複製などの行為は違法です。

あのとき、私は死にたかった。

体調を崩している。
「ここで、死ぬのかな。まだ死にたくないな。」。
そう思えるようになった自分に、驚いた。

20代や、もっと若い年齢で、人生に絶望したり、
孤独、虚無感、生きる意味を失っている人はたくさんいると思う。
私もそうだった。そんなとき、鬱病克服の本や海外へ飛んだ方のブログやらを読んでいた。自分の人生は終わった、と思う反面、何とか生きる希望を掴みたかったんだと思う。



ここに来る前、辛かった。
出勤中、「今この車道に飛び出したら一瞬で死ねるのかな」と当たり前のように考えたり、仕事帰りの田園都市線、車窓に縁どられたネオンの夜をを虚ろに眺めていると、ふいに涙がたらたらと流れることがよくあった。食べ物を胃に入れることもしんどくて、1か月で10キロも痩せた。貧相にも、タイトスカートがぶかぶかになった。突然、手足が震えはじめ、職場での指示も10秒後には思い出せず、とうとう出勤の朝、ベッドから体が起こせなくなった。”起きたくない”ではなく、起きようと思っても、体が動かせなくなってしまっていた。
診断結果は自律神経失調と鬱病だった。
まさか、自分が鬱病になるなんて、思ってもいなかった。


本音を言うと、自分が病に服す前まで、「鬱病」というのは怠惰な人にとっての恰好の言い訳に過ぎないと、心のどこかで否定していた。
多忙な時期なんて「私だって鬱病って言って休みたい!」と歪んだ駄々を捏ねていた。


主観が過ぎる勘違いをしていた自分が恥ずかしい。
鬱病は怠けの言い訳ではなく、脳組織と精神を崩壊させる恐ろしい病気だ。
「マジ、鬱~」なんて言えるうちは、大丈夫、健康。

まるで、這い上がる事の出来ないこの世の地獄を彷徨い続けている毎日だった。
自分だけが”絶望”という闇のシャボン玉に入って、周囲の人間が生きる”普通”という光に満ちた世界に、孤独に浮かんでいるみたいな、そんな感覚だった。
すぐ隣に、”普通”があるのに、もう私にはそれを手に入れられないんだと思うと、”普通”に生きている人間らを見るのが辛かった。
電車に乗ろうとすると過呼吸になり、ストレスで過食、肌もザラザラに荒れていった。
変わり果てた自分が見られるのも嫌で、どんどん引きこもるようになった。
トイレ以外は四六時中ソファに寝転がり、天井は穴が開きそうなほど見つめた。突然ヒステリーを起こして、泣き叫んだりした。
「一生懸命生きてきたのに、なんで自分だけがこんな人生になるんだ。」


当時、仕事はやりがいはあれど、薄給激務。
仕事で正当な評価が得られない事、貢献すればするほど損をするような給与体制だった。本当に、文句言わず、よくやったよな…。
平日は朝の3時、ときには朝6時まで仕事。仮眠を取って職場に戻る。土日も自宅で仕事。
残業代やボーナスは、一切無し。同年代は次々に辞めていく。
私も辞めたかったが、経験やスキルを向上させたいため、すぐに辞めるわけにはいかないと、忍耐していた。


そんなとき、とある女性からお茶の誘いがあった。
彼女の言葉が、私の自己否定観と社会への息苦しさとを強く腹の底に残し、鬱病中、何度も私の首を絞めた。

「いいかげん、そんなアルバイトみたいな仕事やめて、安定した仕事に就いたらどうなの?結婚もちゃんと考えて、両親に孫の顔を見せてあげないと。そういうのが、大人になっていくってことでしょう?いつまで子供なの? 理想主義みたいなことを言ってないで、現実を見なさい。もうあなたの両親も若くないのよ。」

びっくりして、言葉が出なかった。きょとん、としてしまった。
この人は、なんで私にこんなことを言うのだろうか。アルバイトみたいな仕事?え?私のことをよく知りもしないで、どうしてこんな説教ができるのか。

その後も、彼女は大声で私を叱り続け、最後に、この一言を怒鳴り散らした。
「もう、夢を見るな!って言ってるの!!!!」 

私は泣いてしまったんだ。あの時の私は、今よりうんと若くて、冷静になれなかった。
ただ突然に、大声で説教されたものだから、泣いてしまった。


いや、それだけじゃないな。彼女のプロファイルも大きい。
キャリアウーマンで高収入、私と同年代の娘さんが孫を産んだばかり。仕事、お金、家族、全てを手に入れた社会的成功者だ。(この言い方嫌いだけど)


当時から、このようなタイプの人が苦手であり、でも社会的成功者かつ年上というだけで、彼らの発言や思考はおそらく正しくて、結局は従わざるを得ないと若く弱い私は思っていた。

「そうですね。大人にならないといけませんね。ごめんなさい。」
泣きながら私はこんなことを言ったと思う。

でも実は、このとき混沌としていて、謝る必要があるのかわからなかった。彼女の言っていることに「?」ばかり浮かんだ。
『安定した仕事、結婚、子ども』、もちろんこれが幸せと思う人はいるだろう。でも、これが『大人になる必要不可欠な要素』なのか?
ただ、真正面から自分を否定され、怒鳴られたことが悲しかった。だから、泣いたんだと思う。

社会的成功者に言われた言葉=正しいと思わなくては!という当時の思考回路により、
よくわかんないけど、自分はダメ人間なのか。一生懸命やってるのに、アルバイトって思われてるのか。もう人生に夢を見てはいけない年齢なんだ。虚無と絶望が襲った。


当時の私は自分というものが今よりもっと曖昧で、他者の言葉に影響を受けやすく、「それは違うのでは?」と思うことも、社会、規範、常識、伝統などもろもろにねじ伏せられて、理解できなまま呑み込んでいた気がする。苦しかった。
鬱病中も、何度もその言葉が私を暗闇に引きづり落とした。「社会不適合者」というお札を貼られて二度と世間には出て行かれない気分だった。


幸運にも、両親の理解、鬱病経験者の友だちからの優しさ、カウンセリングや栄養療法などを受けて、少しづつ回復していった。
学んだこともあった。もっと人に対して優しい眼差しを持てるようになった。自分を無意識に責める心癖を認めた。完璧じゃなくてもいい、不完全でも優しくしてもらえるし、優しくしてあげること、不完全な自分たちを許しあって、温かさを与え合う。
普通に朝起きて夜寝られるだけで、幸せなんだ。
人生、人に対して新しい視点を得られて、ふ~っと、少しづつ、楽になった。


それから、これからのことを考え始めた。
海外に行ったときの解放感を思い出した。普段から、外国人と話すほうが自分を出せて楽だし、居心地がいいという自分の感覚に、素直に従ってみてもいいんじゃないかと思った。
「海外かぶれ」の見方をする人もいるだろうが、私は格好をつけるために言っているのではない。日本人の優しさや細やかな日本文化の美しさも好きだ。しかし、現実として、話して楽な相手の国籍が日本ではない、というただそれだけのことで、蔑みや優越は無い。
「海外で~をやりたいから行く!」とか、はっきりした目標なんてなかった。とりあえず、自分が幸せを感じるために、それを見つけるために出てもいいじゃん。幸いこの仕事はどこでもできる。日本でやりたいことがなくて、息苦しさを感じながら、「なんか違う」と悶々と生きるなら、出て、刺激を受けたり学ぶほうがいい。そして、ここに来た。


来て良かった。

鳥の声が聞こえる。
街並みは緑が多くて、ゆったりしたスペースがある。
リスやらウサギが駆けまわったり、何やら食べている姿。
すれ違いざまの笑顔の挨拶。
スーパーやバスの運転手との会話。
困った人を見つけたら、すぐに助ける自然な姿勢。
老いも若きも平等で、年齢による「すべき」がない。
やりたいことがあれば、いつからでもやっていい。
「でももう~歳だから」なんて考えがない。
意見を述べるとき、男性・年長者を立てなければという脅迫がない。
みんな同じ人間で、平等。
生き方の階段は一つではない。何でもいい。
自分のペースで歩けば良くて、疲れたり迷ったら、休めばいいし、違う道に変えてもいい。そこに、他人や世間のジャッジがない。
生き急がなくていい。
人生を楽しむことに積極的。
夢を見ている。


こんなことは、来る前からもわかっていた。
でも、実際に生活の中でそれを体感して、その文化の中で生きるというのは、やはり違う。
はじめて、私を私にさせてくれている。
私が私でいることに、外からの軽蔑がない。認められている。人生の解放感を味わっている。


もちろん、旅行と住むのは違うなと思う。
不便なこともあるし、ひどい態度をされることもある。でもそれは仕方ない。この国で私は外国人。こちらから相手に溶け込む努力が必要だし、住ませてもらっていることへの感謝があるし。


人生は、苦労多い物だと思う。どうせ同じ苦労をするなら、自分が住みたい場所で苦労するほうがいいんじゃないか。そう思っている。

 

 

 


もし、人生に閉塞していて、なにか自分が認められていないような苦しさや、生きることへの虚しさがあるなら、まずその自分を慰めて、労わっていい。
「ここまでよく頑張ってきた。」と言ってあげていい。傷ついたまま、どうにか生きてきた自分を休ませてあげたらいい。

漠然と、外国のほうが楽になれると感じているならば、素直にその気持ちに従って、とりあえず出てみるのは、いいことだと思う。
かっこいい理由なんかなくたって、いい。目的がなくて、いい。
幸せになりたいから、楽になりたいから、それだけで立派な理由だ。

否定意見を言う人は、少なからず嫉妬もしくは、”外国生活=遊んでくる”という勘違いをしているんだと思う。
自分を信じてあげていい。自分の人生だし。
もし、合わなかったら、すぐに帰国すればいい。「合わない」というのは決して「負け」ではなく「学べた」ということであって、人生の収穫になるはず。


長々書きすぎて、よくわからなくなってきた。
何が言いたいんだろ。
疲れているなら、休もう。じゅうぶんに、がんばってきた。
休んでいい。
幸せになっていい。