cheeky squirrel’s diary

隙あらば怠惰、夢見る臆病者、けれど人生を諦めたくない私の北米生活日記。むむぅ~!                                 🔦当サイト内の画像、文章などの無断転載及び複製などの行為は違法です。

非常に面倒な性格の私だよな。長文だ、堪忍。

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暫くぶりのブログだ。

書いていなかった理由は
・書く暇と体力気力がなかった
・書きたいことが多すぎるゆえにまとまらなかった
・考えすぎた
・過去におもしろく読んでいた有名ブログ運営者に、過去の他ブログサイトの記事をパクられたことを思い出して嫌になった
以上。

特に、最後の理由は文字通り目が飛び出るほどたまげたことだった。
何より呆れたことは、盗作を指摘したらば、運営者は何の返事もせずに、ただその盗作記事を削除したことだ。
そのブロガーは、趣味ではなくブログで収入を得ている人であったので、記事を書く上でのモラルはあると思っていただけに、非常に残念であった。
”信頼”という文字が頭に出てきた。そのブログサイトを読みたくなくなった。

このブログでは封印しているが、私は自分の文章スタイルがある。
ここで書いているような「だ・である」調は、着飾っていないノーメイクの文体で好きではないが、時間がかからずサクサクと書けるため、溢れ出る思考をアウトプットするのにタイピングが追い付いてくれるという点が良しと思い使っている。

何のお導きかこのブログを読んでいる方には「え、この人の記事が盗作?普通のブログなのに?」と解せない表情が顔に張り付いているだろうが、これは私スタイルのブログではなく、あくまで、力を抜いて気楽にやっているものなのだ。



そんなこんなで、なんだかやるせない気持ちをぶらぶらと抱えていたらば、またもや前回から時間がひらけてしまった。
さすれば、なぜ今日書いているのか。
職場でベルギー男性Bは何気なく言った「自分の思想や考えが止まらないから、どこかで放出しないと。満帆になって破裂しそうだからさ。」podcastで自身のマイナーな趣味知識を語り倒すBだ。
非常に簡潔な言葉ではあるが、「あ、そっか別に、なんでもいいから自分を落ち着かせるために書いちゃえばいいんだ。」と気楽にさせた。

「自分の話に興味を持って傾聴してくれる人や時間を見つけることは難しいよね、自分が生きている生活世界でね。だから、YouTubePodcast,Instagramとかで、身近にいない共感者が見つけられたり、自分を理解してくれる人がいるというのは、ある意味、思考の発散と心のデトックスの一翼を担っているのかも。」と返すと、「あはは!僕にとっては二翼だよ。これがなかったら僕はどこにも飛べない。」ぱあっと口を開けて爽やかに笑いながら話すB。
いいなぁ。それでいいんだな。じゃあ、もう、書いちゃえ! そんな理由だ。



私の視点や思考は、ある人にとっては共感され、ある人にとっては距離を置きたいと思われるようなものだ。
もしそれをここでしゃあしゃあと吐き書いたならば、万人ウケとか、国民的ブロガー、国民のブログみたいな物とは正反対の場所に置かれるものであろう。目指してもいないけど。
(”国民”って言葉、なんだか気持ちが悪いなぁ…およよ)

たぶん、私って面倒なんだろうなと理解している。そのくせ、共感されたい!いいって思われたい!とかいう感情はやっぱり心のどこかに鎮座。
あ~!非常に面倒な性格だよな。
昔から、「ちょっと変わってるね。」なんて言われていた。学校や友だちとの集団行動が本当に苦手だった。特に女性の集まりや長い話。3人以上は無理だ。勘弁してくれ。”伝統だから、ルールだから、年功序列だから、”というような常套句を呑み込めなかった。

ま、私はこんな私が好きなんだけどさ。
もういちど言ってやろうじゃないか、私は、こんな私が好きだ!!!!うっほーー!
そして、今いるカナダやヨーロッパ、オーストラリアなどの文化圏では、怪訝に思われることもない。耳を傾けてくれる。自由に意見や考えを持てて、非常に心が解放されている。「私」がここにいる。


日本では私の意見や行動を見た人に「男っぽいね。勇ましいね。クールだな。」なんて言われて、まったく意味が分からなかった。
誤解を生まないように書いておくが、乱暴な言葉や言い回し、他者を傷つけるような言葉は使いたくない性格だ。反対意見のある時でも言葉選びを慎重にしている。(もっとも、対日本人の場合、私は滅多に自分の考えを話さないが。)
仕草や姿勢においても、祖母と母の躾もあって、男らしいものではないはずだ。服装にいたっては、運動服や男性服売り場にあるようなデザインの物を着てばかりでもない。おしゃれも好きだし女性の体形を楽しんでいる。

要するに、私は一人の人間として、平等に与えられている権利や合法のなかで、自分を生きているだけなのだ。
しかし、日本では”男性っぽい”と思われる。

「か弱く、はかなく、貴方の望みを叶えたもう従順な女性」が日本女性のロールモデルなのか?と私を疑わせている。
そんなもの、御伽噺のふわんふわんの”妖精”だ。夢の世界の理想像を現実の世界に生きる女性に充てがうなんて、勝手も甚だしい。
大和撫子”を2020年にもなって憧れの女性のタイプと言い続けるなんて…。1200年前の万葉集の言葉だぞ。おいおい…。
では我々女性も、「好きなタイプは、勇気があって強くて立派な益荒男です♡」なんて言って差し上げましょうかしらん。

「女性とは、かくあるべき」を潜在意識に埋め込もうとするような雑誌、SNS,広告やテレビ番組も恐ろしい。
体形やファッション、化粧、エステ、美容整形、躾や教育を担う親。
これらのトピックは大概が女性に向けられている。
性別によって分けられた外見や内面の理想の植え付け対象は、女性ばかりが圧倒的に多いことは気味が悪い。

テレビ番組で、女性アナウンサーに「また太りました?」とか「ちょっと太ったんじゃない?」なんて聞く男性。どうして許されるのだろうか。逆に「どうして美しい筋肉がないの?」と男性諸君は言われてもいいのかしら。
近隣アジア、C・Kの男性にもこのようなタイプはいたが、それ以外の私が交流している欧米圏の男性は決して女性をそのように扱わない。それは男性自身の価値を下げる。裁判にもなり得る。

本人も笑って「やめてくださいよ」なんて言わないで、「非常に失礼で不愉快だ」とハッキリ伝えるほうがいいのでは。それが無理なら、「あら!あなたこそ、どうして6パックが無いのですか?」なんて鋭いユーモアをくれてやっては?

テレビの中で許されてしまっていることは、現実世界でも許されるという残酷さがある。
「テレビ=常識」。言い換えれば「大衆の意見・風潮=全て善」という考えが日本人は非常に強いと思う。

世の中にある定義に対して、いったん立ち止まり個人の視点から観察、意見を持つという段階をぽっかり欠落させて、そのまんま受け取ってしまう。
義務教育の過程で、その訓練がされていないことが、現代の様々な生き辛さを生んでいることは明白だろう。残念だ。
肯定的には「ルールに従順な国民性」だ。しかしそれが既に悪意的に利用されていると、気付いている人は多くいると信じたい。


変人と言われることについて書き始めたら、こんなことまで飛んじゃった。
まあ、いっか!! 
自由に思いをしゃらしゃらと書き流せるって、ものすごく気持ちがいいな~~~。
私はこんな私が大好きだ!!
↑これを言うのって、爽快。足裏から頭の頂まで幸せが走り上がるぞ。




そういえば、日本で働いていたころ職場の男性に、皮肉にも「大和撫子ですよね。」って言われたな…。
彼にとっては賛辞のつもり。私にとっては「どういうつもり?」。

 

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